タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2014/10/10

言葉はどうする?

『タイでは、言葉はどうされていたのですか?』

次によくいただいくご質問が言葉に関する質問である。

『タイへ行くにあたって、言葉はどこまで準備をしておけばよいのですか?』
『タイでは、言葉はどうすればよいのですか?』
『英語は通じますか?』

などのご質問も、言葉に関する質問であるので、ここに含めさせていただくこととしたい。

タイで話されている言語はタイ語である。
当然ではあるが、日本語は通じない。

とはいっても、タイにおいて『日本』という国は、さまざまな方面から注目を集めている。
タイは、とても親日的な国であり、日本に対してとても親しみを持っていると答えるタイ人も多い。

おそらく、そういった意識を持たない日本人は多いかもしれないが、『日本』はタイではとても関心をひいている国なのである。

例えば、主な日本のアニメは、タイ語に翻訳されており、単行本になっていたり、テレビで放映されていたりする。
市場を歩けば、私達日本人がよく知るお馴染みのアニメにすぐ出会うことができる。

日本食も非常に人気で、「すし」などの日本食はタイ人の誰もが知るところとなっている。

「ありがとう」や「おいしい」などの日本語も広く知られている。

ちなみに、当時「おいしい」や「はなみ(花見)」という名前(商標)のお菓子が販売されており、どのような味なのかは知らないが、これは面白い名前だと感じたことを記憶している。

しかし、いくら日本という国がタイで親しまれているといっても、日本語での会話が成立するというレベルには遠く及ばない。

それでは、どのように日常のコミュニケーションをとればよいのであろうか。
また、タイ語はどのように学べばよいのであろうか。

これらは、私も同様に、まず頭をよぎった大きな問題であった。


どの程度の語学を身につけておけばよいのか?という質問に関して、私は『ご本人様がタイでどのようなことを求めているのかに応じます。』とお答えすることにしている。

それは、ただ単に経験として出家できればよいというレベル、タイで出家という習慣を学びたいというレベル、仏教や瞑想を深く学びたいというレベルとでは、やはり必要となってくる語学のレベルも当然のことながら異なってくる。

単に出家できればよいのであれば、極端ではあるが言葉はできなくてもよい。
一言、二言のタイ語や少しばかりの英語、あるいは身ぶり手ぶりなどで、どうにか日々のやりくり程度であればできるであろう。

しかしながら、仏教や瞑想を深く学ぼうとするのであれば、それなりの覚悟は必要であると思う。

より深く、より詳しくタイの仏教や瞑想を学ぶのであれば、同様に“より深く”、“より詳しく”タイ語についても学んでおかなければならない。
日常会話や仏教用語など、多岐にわたって身につけておかなければならないだろう。

タイ語を学び、ある程度の語学をマスターすることが第一段階であって、もし本気でタイで学びたいと志すのであれば、やはりそこは必須である。


バンコクの街を少し歩けば、欧米からの観光客が非常に多いということに気がつく。
そのためか、簡単なやりとりであれば、街中のどこへ行っても英語が通じる。

また、タイのビジネスマンや富裕層達はみな英語が非常に堪能である。
むしろ、英語を話すことができない外国人はバカにされることすらある。

日常生活の中において出会う外国人の割合が多いためか、タイではかなりの田舎へ行ったとしても、簡単な英語や英単語が通じる。

少なくとも、日本の田舎よりは、はるかによく通じると私は感じた。

非常に大雑把な言い方ではあるが、観光旅行程度であれば、タイの大部分で英語が通じると考えてもよい。
英語を話すことができれば、非常に充実した観光旅行が楽しめることだろう。

それゆえ、中学・高校程度の英語を話すことができれば、生活をしていく分にはあまり問題はない。

日本の生活の中には、非常に多くの英語が入り込んでおり、私達がすでに知っている英単語(いわゆる横文字)だけでも簡単な意思の疎通をはかることも可能だ。


さらに、タイでは、欧米系の外国人比丘も多い。
欧米では、近年、仏教や瞑想に関心を持つ人達が増えており、仏教を学んだり、出家を志す人達もとても多い。

有名な寺院や外国人が多く集まる僧院、あるいは瞑想センターなどでは英語が話せる指導者が一人、二人は必ずいるので、英語が堪能であれば、瞑想を学ぶうえでもおおむね問題はないと言える。

とはいえ、あくまでも英語が通じる場所というのも限られてくる。

先述の通り、タイの仏教をより深く学びたいと考えるのであれば、タイ語は必須であることは言うまでもない。
また、英語を通じて学ぶよりも、タイの言語でもって理解するのが最も基本的な姿勢であると私は考える。

バンコクやチェンマイなどの都市部では、短期間で学べる語学学校がいくつもあり、料金に応じて様々なコースがあり、手頃な金額、手頃な期間で受講できると聞いている。

タイのこうした語学学校で学ぶのもよいかと思う。

タイの国で生活を送っていくわけであるから、やはりある程度のタイ語は身につけておきたい。

私は、寺で仲良くなった友人や寺の住職から熱心に指導していただきながらタイ語を学んだが、私の経験からは、できればしっかりとした場で基礎的なタイ語を学んでおくことをおすすめしたい。

最低3ヵ月間は集中してタイ語を学べば、必要最小限度のタイ語でのコミュニケーションが可能となる。
私も、一言のタイ語も話すことができなかったが、3ヵ月間で簡単な会話程度のタイ語がどうにか話せるようになった。
さらに読み・書きをこなすには、もう少し時間を要するかもしれないが、その後の上達は本人のやる気次第である。


私のタイでの生活は、私が話すことのできる少しばかりの英語でのやりとりから始まった。

実は、言葉の問題は、私が後悔していることのひとつである。

もっと深くタイ語が理解できていれば、さらに深くタイの仏教を理解し、さらに深く瞑想を学ぶことができたかもしれないと思うからである。

私は、英語もタイ語も話すことができなかった。

あまりに無謀過ぎたかもしれない。

ある程度は日本でタイ語を学んでおくこともできる。
タイにある語学学校を調べて、タイで学ぶこともできる。
日本企業も多く、在タイ日本人が多く住んでいるタイという国の利点だ。


言葉の問題は、非常に大きな壁だ。
しかし、タイへ行くことを志すのであれば、どうしても越えなければならない壁でもある。

タイ語の学習もまた、最終的には熱意と志であると私は思う。


人と人同士、全く言葉が通じないという環境の中で少しづつ言葉を学んで、タイ語で気持ちが通じていくという体験は、とても貴重なことであり、喜びでもある。

そんなあたたかな人と人とのふれあいもまた、とてもいいものだと私は思う。



⇒次回の予定 『タイの出家の生活はどのようなものなのですか?』

日本では、意外に知られていない比丘のとるべき行動や、やってはならない行動をエピソードなどを交えながら、タイでの出家の生活とはどのようなものなのかを紹介させていただくことを予定しています。



(『言葉はどうする?』)

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