タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2017/12/15

ブログ記事一覧No.3

タイ佛教修学記 ブログ記事一覧 No.3



阿羅漢であり正等覚者である世尊に礼拝いたします <礼拝>




~犀の角のようにただ独り歩め~
『ブッダのことば スッタニパータ』
中村元訳 岩波文庫 より




森のお寺で修行ができるということ 

森のお寺での修行生活を噛みしめる。



前国王プミポン・アドゥンヤデート陛下の御葬儀に思う

タイ国ならびにタイ国の皆様方へ心からの哀悼の意を捧げます。



どうしても嫌ならやめてしまえばいい。

どうしても嫌であるのならば、一度離れてみればいかがだろうか?



お坊さんがいない場所

2010年5月17日に掲載いたしました記事『お坊さんがいない場所』に編集を加えて新たに記事として掲載したもの。



【後編】出家生活で辛かったこと4 ~根本的なところを観よ!~

私が出家生活でもっとも辛いと感じたこと。その五。



【前編】出家生活で辛かったこと4 ~根本的なところを観よ!~

私が出家生活でもっとも辛いと感じたこと。その四。



出家生活で辛かったこと3 ~情けない私とその先にあるもの~

私が出家生活でもっとも辛いと感じたこと。その参。




出家生活で辛かったこと2 ~出家生活と性欲~

私が出家生活でもっとも辛いと感じたこと。その弐。



出家生活で辛かったこと1 ~性欲と瞑想中の眠気~

私が出家生活でもっとも辛いと感じたこと。その壱。



出家生活、そして在家生活 ~怒りと感情の濁流のなかで~

たとえ出家をしたとしても、自己の感情とつき合っていかなければならない。



タイのお守りとタイで出会った人々3

タイのお守りにまつわるエピソードと私の思い出。その参。



タイのお守りとタイで出会った人々2

タイのお守りにまつわるエピソードと私の思い出。その弐。



タイのお守りとタイで出会った人々1

タイのお守りにまつわるエピソードと私の思い出。その壱。



阿羅漢はいるの?

「阿羅漢はいるの?」・・・この質問に対するタイの人達の答えは?



ニャーナラトー師の法話3 ~私はこのように聴きました <瞑想の時間と質疑応答> ~

平成29年(2017年)3月12日(日)に開催いたしました『アチャン・ニャーナラトー師の法話と瞑想・お布施の会』のご法話。その参。



ニャーナラトー師の法話2 ~私はこのように聴きました <「ダーナ」「シーラ」「バーワナー」> ~

平成29年(2017年)3月12日(日)に開催いたしました『アチャン・ニャーナラトー師の法話と瞑想・お布施の会』のご法話。その弐。



ニャーナラトー師の法話1 ~私はこのように聴きました <拠り所> ~



平成29年(2017年)3月12日(日)に開催いたしました『アチャン・ニャーナラトー師の法話と瞑想・お布施の会』のご法話。その壱。




あなたは、総崩れとなってしまった時、どのような結論を出すのだろうか?



『修行か?それとも苦行か?~眠らない修行をする~』

・・・この時、私は「睡魔に負けた!」と思ったことを鮮明に覚えている。



『修行か?それとも苦行か?~断食をする~』

具体的に体重が何㎏だったのかは覚えていない・・・かなり痩せたことだけは確かだ。
まるで、かの苦行像のようだった。



『修行か?それとも苦行か?』

私が実践したこの「苦行」とも思える少し極端な修行とは、私にとっては、求道への、そして修行への篤い篤い思いの発露に他ならないものであった。



『アーナパーナサティ事始め!?~呼吸と遊び呼吸と友達になる~』

アーナパーナサティに親しむためのちょっとしたテクニック。



『いつも普段通りのタイのお寺 』

自身の感情が動いた瞬間・・・それはすなわち、何らかの心の方向性を示している。



『或る森の寺で見たもの 』

この記事は、2012年6月7日に掲載した『死体の写真と煩悩』のタイトルを改めたもので、加筆・訂正・修正と多少の編集を加えて再掲載したものです。



『バンコクのある病院にて』

この記事は、2008年4月12日に掲載した『死を直視する~不浄観~』のタイトルを改めたもので、加筆・訂正・修正と多少の編集を加えて再掲載したものです。



『死の恐怖 』

死とは、やはり恐いものなのだろうか?
「今」の心を整えることは未来を整えることである。
「今」を善く生きれば、未来も必ず善きものとなる。



『五戒を通して自己を知る』

五戒という、五つのことがらを通して観えてくる自己の姿。
そして、生き方とは・・・。



『タイのある高僧の死に思う(再掲載) 』

※2014年12月1日掲載の『タイのある高僧の死に思う』に一部編集、加筆・修正を加え、リンク先を貼り換えて再掲載したものです。

リンクの許可と記事の引用を許可してくださいました浦崎雅代様に深く感謝申し上げます。



『煩悩の国の歩き方 』

煩悩多き日常をいかに穏やかに生きていくか?



『自己の観察と気づきは、なぜ必要?』

問題を解決する以前に必要なこととは何か?



『お布施とお金からの学び』

「概念」を“概念”であると気づき、正しく知ること。



『お布施とお金の衝撃エピソード』

托鉢中に出会ったお金にまつわるエピソード。



『不安と心配・・・実は私の捏造!? 』

不安と心配の正体を暴く!



『不安に襲われた時こそ瞑想を』

まずは、「今」の心の安定を大切にしたい。
“最善の今”を生きた結果が“最善の未来”なのだから。



『バンコクと東京と』

私にとって刺激が強過ぎた東京の空気にバンコクを感じたのだった。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



善なる徳行は すべての命あるものの 未来のより所となる


すべての命あるものたちが幸せでありますように

生きとし生けるものたちが幸せでありますように



タイ国ならびにタイ国サンガに深く感謝申し上げるとともに、タイ国サンガの発展と佛法興隆を願いつつ。

そして、日本ならびにあまねく佛法興隆を願いつつ。



ブッダ、ダンマ、サンガの限りない威力によって、日々が明るく、穏やかなものとなりますように



(『ブログ記事一覧 No.3』)





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