タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2014/10/01

タイで出家をするには?

真摯な方からタイについてのご質問をいただくことがある。

今回は、そうしたご質問の中で、特によくいただくご質問について書かせていただきたいと思う。

なぜならば、それらのご質問は、私も同じく越えてきた壁の数々であり、同じく疑問に思っていたことの数々であるからである。
そして、それらの情報収集には大変な苦労をした経験があるからだ。

ほんの少しでも、ご質問の解決への参考としていただき、糸口としていただくことができれば非常に幸いであると思う。

また、よくご質問をいただくということは、それだけのたくさんの方々がタイの仏教に関心を抱いていることの証であると思っている。

ゆえに、タイの仏教に関心を持っておられる方々に、少しでも私の経験をお役に立てていだくことができれば嬉しく思う。
また、少しでもタイの仏教に触れていただき、なかなか日本では触れられない仏教の大切な部分に触れるきっかけとしていただければと思っている。

さらに、そうした経験がそれぞれの人生の中で善き徳となり、善きご縁となり、善き方向へと進まれるきっかけとなることを切に願いたい。

しかしながら、それぞれの方々の求めに応じた回答にはなっていないかもしれない。
あくまでも、私の視点からの、私の所感をお伝えさせていただくものであるということを念頭にしてお読みいただきたいと思う。

ではまず、最もよくいただく主なご質問を挙げさせていただくと、


①タイで出家をするにはどのようにすればよいのですか?

②ビザはどのように取得すればよいのですか?

③タイでは、言葉はどうされていたのですか?
(その他、言葉に関するご質問)

④出家の生活はどのようなものなのですか?日本の僧侶の生活とは違いますか?


となっている。

ただし、②のビザに関する情報については、各個人の置かれた条件により異なってくるうえ、その時の政情や状況などによって非常に流動的であるため、詳細事項については在日タイ王国大使館をはじめ、関係諸機関にて最新かつ正確な情報を入手していただきたいと思う。

よって、②のご質問に関しては、ここで採り上げることをあえて差し控えさせていただきたい。
ご質問いただいた方へも「直接お問い合わせください。」とお答えさせていただいている。

それでは、①から順にお伝えさせていただきたい。


『タイで出家をするにはどのようにすればよいのですか?』


これは、私も最も苦労をした点であり、最も難しいところだといえる。

しかし、結論から言うと、自分で『タイとの縁を結ぶ』しかないであろう。

おそらく、この一言に尽きると私は思う。

タイの人々の多くは、自分が住んでいる町や村、あるいは故郷にある馴れ親しんだ寺で出家をしたり、自分の親(父親)、ないしは親類・縁者が出家した寺などで出家をする。

また、個人的に尊敬している比丘や高僧がいる寺で出家をしたり、評判を聞いて出家をしたりするということももちろんある。

出家をした寺の選択理由は、まさに千差万別である。

出家したい寺を決めて、その希望を寺側が承諾すれば、あとは準備を整えて出家式に臨めばよい。

タイ人にとっては、出家とは男性の大半が経験することで、寺との縁は身近過ぎるほど身近なものであるため、それほど問題にはならない。

タイ人に「出家することは難しいことなのか」と問えば、誰もが「簡単なことだ」とさらりと答えるだろう。

ところが問題は、外国人である私達日本人がタイで出家を希望する場合、一体どのようにしたらよいのであろうかということである。

時々、「お寺に行けばすぐに出家をさせてもらえるのですか?」というご質問をいただくが、見知らぬ外国人がいきなり寺に来て「出家させて欲しい」と言われても、誰が承諾するであろうか。
やはり、それなりの準備が必要である。

タイ人であってもそうであるが、先述の通り、寺から出家の許可を得ることができれば出家がかなう。
つまり、寺を紹介してもらう(寺に紹介してもらう)ことができればよいということである。

すでにタイとのコネクションがある場合を除けば、自分でタイとのコネクションを作らねばならない。
寺を紹介してもらい、出家の準備を整えるためには、まずはタイとつながる必要がある。

以前の記事においても少し触れており、重なる部分もあるが私の経験もふまえて、私が採ったその方法をいくつか挙げてみる。

・大学でお世話になった教授(先生)に連絡をとる。
・さらに大学の教授(先生)から知人を紹介していただき、連絡をとる。

私の場合は、仏教系の大学で学んでいた関係上、こうしたことが可能であったが、通常ではそうした機会は少ないかもしれない。

・タイへ行ったことのある方と連絡をとる。
・タイで出家経験のある方と連絡をとる。

身近にタイに詳しい方などを探してお話をうかがい、情報を収集するとよい。
意外にも「いもづる式」に実に様々な人とつながることができるものである。

人脈は、非常に大切であると言える。

特に過去にタイへ留学されたことのある方や、タイで出家の経験がある方などは、あたたかくあなたに情報を提供してくれることだろう。
その方もそれなりの苦労や志、あるいは求道の心があってタイへ行かれたのであって、同じくそうした道を歩もうとしているあなたへ親身にアドバイスをしていただけるに違いない。

・本の著者に連絡をとる。
・本に特集されている方や記事として紹介されている方などに連絡をとる。

近年では、個人情報の保護が非常に厳しくなっているため、大学の先生や本の著者、その他の方々と個人的に連絡を取ることが非常に困難となっている。

当時、私は、非常によく知られたある書籍の著者である某氏と電話で直接、お話をうかがうことまでできたが、今では「お話を聞かせてください。」と言ったとしても、おそらくは取り次いでもらえず、門前払いをされるかもしれない。

・日本国内で開催されている瞑想会へ参加をして情報を収集をする。
・タイ仏教に関連する場所へ行き、情報収集をする。

瞑想会は、日本語で瞑想を学べる絶好の機会である。
自分が欲する情報に少しでも出会えそうな場所があれば、積極的に足を運ばれることをおすすめしたい。

必ず出会えると信じて行動することが肝要である。

・ホームページや個人ブログなど、インターネットからの情報を活用する。

個人情報の保護等の理由で連絡先がわからなかったり、全く連絡が取れなかったりと接触が困難になりつつある一方で、情報収集が格段にしやすくなったと感ずることがインターネットの発達である。

インターネット上の情報は、私がタイへ渡った当時よりもはるかに進歩している。
また、さまざまな方面の方々が実にさまざまなブログを開設しているので、直接連絡がとれるようであれば、是非とも連絡されてみるとよい。
有力な情報を得ることができる可能性は高い。

・タイ料理店やタイ関係の店舗、タイ語学校などのタイ関連の場所へ足を運ぶ。

私がタイへ渡った頃の日本では、ほとんどタイという国について知られていなかったが、近年ではテレビや雑誌などで頻繁にタイについて紹介されるようになり、より親しみのある国となった。

「サワッディー・クラップ」(こんにちは)
「コープクン・クラップ」(ありがとう)

というタイ語をはじめ、

「トムヤムクン」(タイ料理)
「ナムプラー」(ナンプラー・タイの調味料)
「パクチー」(香菜・コリアンダー)

などのタイ料理に関する名は広く知られるところとなっている。
おそらく、今、お読みの方々もご存知のものがあることと思う。
数年前までは、これらのタイ語すらも全く知られていなかった。

各地にタイ料理店などもよく見かけるようになり、ちょっとしたタイブームという様相を呈しているほどだ。
また、都市部では、タイフェスティバルなどのイベントもよく開催されているので、機会があれば足を運んでみるのもよい。

話題がそれてしまったが、先程と同じく、自分が欲する情報に少しでも出会えそうな場所があれば、積極的に足を運ばれることをおすすめしたい。

こうした場所で情報収集するというのもひとつであろうかと思う。

さまざまな情報の中から、自己責任のうえで、ご自分の判断にて取捨選択をされたい。
そして、自分の目的に適っているかどうかを十分に吟味し、判断したうえで志に向かって歩を進めていただきたいと思う。


私がどこか特定の寺や特定の人物と懇意にしていて、出家希望者を個人的に紹介できる立場にあるのであれば喜んで紹介をさせていただきたい。

しかし、残念ながら私はそうした立場にはないので、特定の寺や特定の人物を個人的に紹介することができない。

それゆえ私は、『タイで出家をするにはどのようにすればよいのですか?』という質問に対しては、『あなたの「熱意」と「フットワーク」です。』とお答えさせていただくことにしている。

最終的には、本人がどこまで真剣であり、どこまで熱意があるかということに尽きる。

私は、そうした仏教の修学への“熱意”と“真剣さ”が道を開くものであると思っている。
さらに、出家を希望されるのであれば、必ずや出家へとつながるものであると確信している。

もちろん、うまく情報収集できないこともある。
空振りのこともある。
全て閉ざされてしまい、八方塞がりになってしまうことだってある。

しかし、そこで諦めてしまうのではなく、道を修正すればよいのである。

強く志したその時、道は必ず見えてくるものである。
正しく進んだその時、おのずと道は開かれてくるものである。

仏教の修学とは直接関係がないのかもしれないが、様々な人や様々な場所を尋ね歩いてゆく中において、実に多くの学びや気づきがある。

そして、多くの尊敬する師や諸先輩方、善き仲間との出会いがある。

実際に、私にも多くの諸師・諸先輩方との出会いがあり、多くの学びがあり、それらの全てが仏法へとつながっているという実感がある。

こうした学びもまた仏教を学ぶこと、仏教を生きるに他ならないと私は信ずる。


三宝の限りない威力によって、みなさま方の日々が明るく穏やかなものとなりますように。

みなさま方の志が成就されますことを願っております。



⇒次回の予定 『言葉はどうする?』

タイでは、言葉はどうされていたのですか?など、言葉についてを採り上げる予定です。



(『タイで出家をするには?』)

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