タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2010/04/28

仏教との出会い


私は寺の生まれではない。


「じゃあ、なんでまた仏教なんかに興味を持ったの?」


と、よくこのように質問をされる。

これが、みんなが感じるごく一般的な疑問であろう。

身近な人の死、挫折、失敗・・・このような人生の問題を抱えたとき、宗教というものに興味を覚えるのが一般的なのかもしれない。

何も人生に問題がなければ、その解決を宗教に求める必要はないのかもしれない。


私の場合は、そうではなかった。


何か人生に問題があって仏教に興味を持ったのかと思われることには嫌悪感すらある。

振り返ってみるに、私の祖母の影響も強かったのかと思う。

偶然にも父方の祖母、母方の祖母、共に非常に信心深い人であった。

しかしながら、私の両親はというと、そうでもないというところが面白い。


「宗教なんて、困った時の神頼み」だと世間の人はいう。


これも、ごく一般的な日本人の感覚といったところか。

いや、一般的な認識だと言っても過言ではない。

困らなければ神にも仏にも頼る必要がない。


地域の土地柄も多分に影響しているのであろう。

私の住む地域では、大きな仏壇が誰の家にもあるのがごくごく普通の風景。

また、ほとんどの家庭では、年間に数回の法事がある。

日常的に仏壇に手を合わせ、日常的にお経を読む。

私の住む地域は、そんな風景が当たり前という土地柄だ。


しかし、お経って何が書いてあるのか?

仏教って一体何なのか??ということを知る人は誰もいない。

近所の長老も、物知りで通っているおじさんも、信心深いことで有名なおばさんも、私の問いに、納得のいく答えをくれた人は誰もいなかった。

お寺さんからも納得のいく答えを得られなかった。

幸か不幸かわからないが・・・そんなごく普通の風景に対して疑問と興味を抱いてしまった私であった。

私にとっては、わけもわからずに拝んでいることは、全くもって納得のいかないことであった。

幼いながらにこのようなことを考えていた。


以来、ずっとこの疑問を追いかけることになる。



⇒出家までのことを紹介します。

『大学でのショック』



(『仏教との出会い』)



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