タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2008/04/12

貝多羅


南伝仏教といえば何を思い出すであろうか。

黄衣に身を包んだ僧侶、空を突く美しいシルエットの仏塔、きらびやかな寺院…。


私が思い浮べたのは、貝多羅(ばいたら)であった。

貝多羅とは、貝葉(ばいよう)ともいうが、細長い葉っぱに経典を書いたものである。

少し仏教に触れたことのある人であれば、「貝多羅」という言葉を多少は耳にしたことがあるのではないだろうか。


その貝多羅をタイでは、現在も使っているものだと勝手に思っていたが、むろんそんなはずはなく、タイ版南伝大蔵経をはじめ、日常の勤行に使われる経本に至るまで、日本と同じ普通の洋装本である。

ただし、儀式などのごく限られた場所では、(言葉では説明できないが)紙を細長く折った貝多羅の形にに似せたものが使われることはあるが、それはおそらく貝多羅を使っていた時代以来の伝統というか、名残りなのであろう。


私の「タイでは貝多羅を使っている」という想像は、「日本には、侍や忍者が普通に街を歩いている」と思っている外国人と同じ発想であったのだ。


私が出家したチェンマイの山奥の寺で過ごしていた時の話。


私がカレン族出身の先輩僧に



「タイでは今でも葉っぱにお経を書いたのを使っているのかと思っていたよ。」



と話したところ、



「この木の葉っぱで作るんだ。」



と言って、寺の境内に生えているその葉っぱに経文を記すという木(タイ語:バイラーン)のところへ私を連れて行ってくれた。



「昔は、おまえが言うように、この木の葉っぱにお経を書いたんだ。よし、作り方を知っているから、今度一緒に作ってやるよ。」



と、後日、その先輩僧と貝多羅を作ることになった。

さすがは、カレン族出身の僧侶。なんともたのもしい!


そして後日・・・

切ってきたバイラーンの葉っぱを形を整えて水につけておく。

しおれてしまったものは使えないのだという。

その葉っぱに釘のようなもので文字を刻んでいく。

刻んだ文字の上に、炭を砕いて粉にしたものを水にといて塗り、乾いたら油を塗る。

このようにすると、刻んだ文字の部分に炭が入り、黒い文字として定着して消えないらしい。

ある程度乾いたら、はみ出た炭などの汚れをきれいにふき取り、しっかりと乾燥させて、紐で綴じて完成。



日常使う経本を写すことにした。

一文字一文字、お経を書写していく作業は、「書く」という表現よりも、やはり「刻む」といった表現のほうが適切だ。

葉の繊維は意外にも堅く、はっきりとした文字を書くには、かなりの筆圧で書いていかなければならない。

普段、紙に鉛筆やボールペンで書くのとは違い、一行書いただけで握力がなくなってしまうほどで、とても疲れる。

しかも、一文字一文字を葉っぱに刻んでいくわけであるから、間違っても消すことができない。

誤字・脱字・書き損じは許されない。極度の集中力が要求される。



「おい、間違った!」


「もうつかれたよ!」



と私がついついこのようにつぶやくと、先輩僧もしょうがない奴だと言いたげに笑いながら言った。



「昔の人はとても集中力があったんだ。」



一文字一文字を写し、刻みながら先人の苦労をおもわずにはいられなかった。

昔はコピー機もなければ、印刷技術もない。

今に伝わる三蔵経典は、たぶんこのようにしてインドで編纂されてから、たくさんの人々の手を経て、伝持されてきたのであろう。

書写専門の職人もいたのかもしれない。


一体何人の人々の努力のうえに今日この経典を目にすることができるのだろうか・・・

そのおかげで、私達は仏教を学ぶことができるのである。


その当時は、どのような方法で貝多羅が作られていたのかは詳しく知らないが、少なくともその断片は私の手で体験できたように思う。


私が、先輩僧と作った貝多羅は、今も私の部屋にある。

一緒に作ったあの日から数年を経た私が作った貝多羅は、やはり素人が作ったものだけあって、博物館などで目にするものほどきれいではない。

はっきりと文字が読み取れるページもあれば、刻んだ文字が薄くて読みづらいページもある。 葉っぱが縮んでしまって、歪んでいるところもある。

しかし、しっかりと乾燥していて、それなりにいい仕上がりだ。


先輩僧がチェンマイ文字でタイトルを書き入れてくれた表紙が今も貝多羅を飾っている。



(『貝多羅』)



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