タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2015/09/03

苦手な人と顔を合わせなければならない時の7つの提案


苦手な人と顔を合わせなければならない・・・誰もが嫌なことだろう。

日常生活のなかでは、決して一度や二度のことではないばかりか、必ず経験するものだと思う。

そんな時・・・“気づき”というものに少しだけ意識を向けて生活していくことで、感じ方の方向性が大きく変わる。

苦手な人と顔を合わせたり、苦手な人と話をしたり、ありとあらゆるさまざまな場面において、“気づき”を意識していくのである。



たまらなく腹が立つこともあるだろう。

他人から嫌なことを言われることももちろんあるだろう。

嫌な仕事や、やりたくもない仕事を押しつけられることだってあるだろう。


しかし、「気づき」ということを意識することで、特定の人に執着したり、怒りにとりつかれたりといった、嫌な感情に巻き込まれることは明らかに減ると思う。

少なくとも、長い時間嫌な感情に苦しみ、悩まされ続けるということはなくなるだろう。



「気づき」でもって、「来たな!」と対応すると、意外にもうまく対処ができることも少なくない。

さらには、“不意”に「嫌な感情」がやって来た時にも、もうまく対処ができるようにもなるだろう。

・・・私はまだまだ、“不意”を突かれた時のうまい対処までには至ってはいないが、対処が可能になるであろうなという感覚は感じている。

ともあれ、より善く生きたい、より善く過ごしたい、そのためには自分自身はどのように動いていくべきなのか?ということがとても大切な要点であると言える。


では、具体的に「私」は、どう行動すればよいのだろうか?

苦手な人と顔を合わせなければならない時の対処方法として7つ、具体的な方法をお伝えさせていただきたいと思う。



1、深呼吸をして一息でも二息でも間隔と余裕を持つ。

これは、いわゆる「落ち着け」ということ。


怒りが起こってきた時というのは、必ず冷静さを欠いているものだ。

是非とも、瞑想実践している時のことを思い起こしていただきたいと思う。



2、自分の感情を観察し、「気づき」を入れる。

「ムッ」とした感情が沸き起こってきたその時、その感情に「気づく」(サティ)のである。

日常では、自分が何を思い、何を考えているのかを意識して生活などしてはいないだろう。

気持ちが乱れた時や怒りの感情が起きてきた時などは、特に注意が必要だ。

例えば、上司から“お小言”を言われたとする。

嫌な感情が起きてきたとする。

・・・その瞬間、その感情に対して「嫌な感情」と気づきを入れる。


思いのほか、感情が乱れないことだろう。

さらには、意外にも冷静な“返答”ができるものだ。

是非それぞれの場面において、当てはまる部分を自分に当てはめて参考としていただきたい。


3、相手のいいところや相手の状況を理解しようとする。

相手に“成り切る”ことは不可能であるが、理解しようとする姿勢は大切である。


相手がどのような理由でもって、私にこのように言っているのだろうか・・・ということを冷静に考えるのもよいだろう。

もしかすると、自分の勝手な思い込みや勝手な勘違いなどで、相手を怒りの対象として見てしまってはいないだろうか。

そこに気がつけば、嫌な感情も少しは和らぐかもしれない。



4、相手に対して、「幸せでありますように」「穏やかな心でありますように」と願う。

いわゆる慈悲の瞑想である。


“怒っていることが好きだ”という人は別として、常識的には怒るということは、決して気分の良いものではないだろう。


相手の怒りが和らぎ、相手の心が穏やかになることを願ってみることをおすすめしたい。

そのように願っていると、やがては自分自身の心も穏やかなものとなってくる。

「この自分自身の心が穏やかになってくる」というところが重要である。


何よりも自分の心が乱れていたのでは、穏やかにものごとを観たり、考えたりすることなどできない。

この点は、是非とも心に留めておきたいことだと思う。


5、苦手な人やつき合いにくい人から興味や関心、意識をできる限りそらすようにする。

ここからは、さらに強い怒りに対しての対応となってくる。


・・・そうは言っても、やはり腹立たしいものは腹立たしいし、嫌いなものは嫌い、嫌なものは嫌である。

もっともなことで、それが人間の感情というものだ。

そう簡単には怒りの炎は治まるものではない。

心というものは、興味や関心のある方向へと向かっていく性質がある。

好きな対象、好ましい対象に興味や関心が向くのと同様に、(負の方向性の意味で)嫌な対象へも興味や関心が向かっていく。

つまり、より強く興味や関心のある方向へと向かうため、“気になる”わけである。

「ムッ」とした感情が沸き起こってきたその時、その感情に「気づき」を入れることができるのがよいが、なかなかできない場合には、「ムッ」とした感情が沸き起こってきたその時に、別のことを考えてみるようにするとよいだろう。

「今日は、どこへ行こうかな」でもいいし、「今日は、何を食べようかな」でもいいだろう。

意識を他の対象へと向けることで、怒りの感情をそれ以上つかんでしまわないようにするのである。

怒りにとらわれて、取り乱してしまったり、心を汚してしまうよりは、はるかによい対処だ。


6、仕事や他人に影響がなく、迷惑をかけないようであれば、物理的に距離を置いてみる。


・・・それでも、対処しきれないことはやはりあることだろう。


仕事や他人に影響がなく、迷惑をかけないようであれば、嫌な対象、好ましくない対象と距離を置くことをおすすめしたい。

これは、端的に言えば、前述の5の意識をそらすことでもある。

近くにいるから気になるのであるし、関わっているから嫌な感情が沸き起こってくるのである。


ただし、他人に迷惑が及ぶ場合には推奨できないため、よくよく注意が必要だろう。


7、どうしても自分にとって耐えることができない、自分にとって悪影響が及ぶということであれば、環境自体を変えるようにする。たとえば、転職する、引越しする、連絡を取らない・・・など。

自分の身を置く環境というものは、非常に大切である。

環境が身体の健康、精神の健康など、ありとあらゆるものにその影響が及ぶということは、言うまでもないことだろう。

まさに「朱に交われば赤くなる」という諺そのままである。


しかしながら、さまざまな事情というものもあり、容易には実行できないこともあろうかと思う。

当然、そのことも理解したうえでの提案である。

何に関しても言えることであるが、自分にとって善き環境ではない場であるのならば、できる限り早期に離れるべきだろう。

自分にとっても、周囲にとっても、双方にとって好ましくない。

なにより、自身が辛くはないだろうか。

これは、私も経験したことである。

だからこそ、自信をもってお伝えできることでもある。

悪しき環境は、善き考えを生まないし、卑屈で偏狭な心へと変えてしまう。

さらには、愚痴にまみれ、攻撃的にもなってしまう。

当然、周囲の人達へも善き影響を及ぼさず、人間関係も悪化することだろう。


周囲の人達にとって善き影響を及ぼすことのできる人になりたいものである。


すぐに環境を変えることができないのであれば、変える方向で今できることに取り組み、準備していくことをおすすめしたいと思う。




以上が私が提案する7つの対処方法である。


当然、時と場合によって異なるので、臨機応変に対応していただければと思う。


明日から苦手な人と顔を合わさなくてもよくなる、嫌な感情がすぐに心地の良い感情に変化する・・・このようなことはあり得ないと思っておいてよいだろう。



しかし、ほんの小さな心がけが大きな変化を生むということを忘れないでいただきたい。

是非とも、ほんの小さな進歩や変化を味わい、評価することをおすすめしたいと思う。



もし、この記事を私が現在勤務している職場の人が読んでいたとすれば、「お前が言うな!」と怒られるのかもしれない。

「お前が言うな!」と言われるのかもしれないが、自己の怒りがほんの、ほんの、ほんの少しでも和らいでいったとすれば、それは実に大きな一歩ではないか。

たとえ、ほんの、ほんの、ほんの少しであったとしても、穏やかなる心へと近づくことができたのならば、それは実に大きな一歩ではないか。


だから、他人と比較する必要性は全くないのだということもあわせてお伝えしたいと思う。


できないからといって、何もしないよりは、はるかに大きな進歩だと思う。

この小さな一歩が大いなる一歩であると思う。

「苦手な人と顔を合わせなければならない時の7つの提案」という表題ではあるが、これは「苦手な人」に対してだけではなく、何に関しても言えることで、ほんの少しだけ心掛けていくことで、大きく感じ方の方向性を変えることができるものである。


さらには、人生そのものの方向性をも善き方向へと大きく変えていくことのできるものであると思っている。



“見方”や“感じ方”というものは、生まれてこのかた長い年月の中で身につけてきた、いわば“自分の癖”のひとつだ。

その自分の癖と正面から向き合っているわけである。

そう簡単には修正されないだろう。

しかし、ほんの少し意識することで、それが可能となる。

その肝要は、「善き生活習慣をつける」ということだろう。

少しずつでいい、気づいていくことが、善き生活習慣への一歩であり、自分の心を浄めていく一歩であると思う。


穏やかなる心への第一歩だ。



(『苦手な人と顔を合わせなければならない時の7つの提案』)



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