「悟り」とは、言い過ぎかもしれない。
悟りまでもは到達できないとしても、せめて決して動じることのない心穏やかなる境地の断片くらいは得たい・・・そう思ってきた。
もし、悟りというものが私自身に到達し得ぬものであるのならば、仏教は私とって意味がないとさえ思っていた時期があった。
しかし、それは大きな間違いであったのかもしれない。
瞑想が、仏教的な捉え方が、日常生活のうえでこれほど大切で、役に立つものだったのかと身をもって感じたのはほんのつい最近のことだ。
“役に立つ”という表現はやや語弊があるかもしれない。
“心を穏やかにする”という表現の方が適切なのだろうか。
いつかある師から言われたこと・・・
「仏法は、あなたのすぐ目の前にある。」
・・・それが身をもって理解できた瞬間だった。
それを“体得”というのかもしれない。
何かを目指す。
そうすると、どうしても理想の状態ばかりを追い求めてしまうものだ。
理想の状態や目標に向かって、ひたすら走るということは、決して悪いことではない。
できることならば、理想の状態に到達したい。
そうすると、どうしても理想の状態ばかりを追い求めてしまうものだ。
理想の状態や目標に向かって、ひたすら走るということは、決して悪いことではない。
できることならば、理想の状態に到達したい。
実際に理想の状態へ到達することが最良だろう。
それは、仏教や瞑想に限ったことではなく、仕事でも、スポーツでも、何においてもそうなのではないだろうか。
自己が目指すべきものがはっきりとしていなければ、自己が進むべき道もはっきりとはしない。
自己の進むべき道、すなわち理想や目標をはっきりと設定することは、むしろ大切なことであるともいえよう。
私の場合は、決して動じることのない心穏やかなる境地の断片くらいは得たい・・・という思いがスタート地点であったが、どうやらその断片すらも私には高すぎる境地であったようだ。
理想の境地と、今、置かれている自己の状況との落差は、天と地以上の差であった。
このあまりの落差と、私にとってあまりにも高すぎる理想に、仏教など無意味だという結論に至ってしまったのだった。
さらには、自己のあまりの無能さに打ちひしがれる結果となってしまったのだ。
私のような能力なき者には、仏教の実践などさらさら不可能であると。
もしかすると、そのまま仏教を捨ててしまい、再び戻ってくることはなかったのかもしれない。
あまりにも理想の状態ばかりを見過ぎていたことによって、現在の自己との溝は、さらに深まっていくばかりだった。
最初からハードルを上げ過ぎてしまうと、できるものもできなくなってしまうのだろう。
最初からハードルを上げ過ぎてしまうと、できるものもできなくなってしまうのだろう。
目指すべき理想は、より高く、より素晴らしいものに設定するということは、もちろん大切なことではあるが、自分にとってあまりにも現実的ではないものであると、まともに取り組もうとする気持ちも無くなってしまうことだろう。
私にとって仏教ではない他の道、すなわち仏教以外に意義があると思われる道を見い出すことができたのならば、間違いなくその道を選んでいたかもしれないが、私は仏教の他に意義ある道を見い出すことはできなかった。
だから仏教へ戻ってきた。
私には、悟ることは不可能、高い境地へ到達することなど不可能・・・こう、痛感した。
何もできない私・・・しかし、だからと言って、何もしなくてもいいのだろうか?
否。
そういうわけはなかろう。
だから仏教へ戻ってきた。
私には、悟ることは不可能、高い境地へ到達することなど不可能・・・こう、痛感した。
何もできない私・・・しかし、だからと言って、何もしなくてもいいのだろうか?
否。
そういうわけはなかろう。
できることをやればいいではないか。
こんな私でさえも実践可能なことをやればいいではないか。
ほんの小さなことの実践でいい。
ほんの小さな進歩や成功を喜んでいい。
何もしない自分よりは、はるかに素晴らしいではないか。
はるかに前進しているではないか。
小さな一歩であるが、それは大きな一歩である。
確実に進んでいる大いなる一歩だ。
まずは、「できるような気になる」ことから始める。
今の自分にできることから始めることが大切なのではなかろうか。
できるような気になれないものであれば、できようができまいが、初めから達成することなどできないだろう。
自分にできるごく簡単なことから始めてみることが大切だと私は思う。
理想の状態ばかりを見過ぎてしまっては逆効果であると思うのである。
小さな変化や成果、進歩や成長を見るべきだろう。
是非とも、その小さな事柄を褒めて、評価することを忘れないでほしいと思う。
私のような誤った結論に達してしまわないためにも、また明日の成長のためにも、理想の状態ばかりを追い求めないということもまた、とても大切な姿勢であると私は感じている。
身近な言葉で表現するならば、小さな成功や小さな幸せを喜び、味わっていくことが大切なのだと思う。
(『理想の状態ばかりを追いかけない』)
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