タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2014/12/01

タイのある高僧の死に思う

『 みなさん ルアンポーは 死んでいきます 』

これは、タイのある高僧が息を引き取る数分前に書き残した最期の筆跡であるという。

そのタイのある高僧とは、ルアンポー・カムキエン師のことである。
かのプラユキ師(本名:坂本秀幸師/プラ・ヒデユキ・ナラテボー師)の直接の師匠にあたる方で、タイにおいて広く尊敬され、慕われている高僧だ。

関連記事⇒『ワット・パー・スカトーの瞑想法』

私は、ルアンポー・カムキエン師の死をインターネット上のとあるブログを通じて知ったのであった。

冒頭の言葉とルアンポーの葬儀の様子を紹介したそのブログは、非常に私の印象に残った。
特に冒頭の言葉は、私の心に大変響くものであった。

今回は、そのブログの著者の方より許可を得て、記事からの引用を交えて書かせていただいた。

写真等の掲載もあり、タイの人々の様子がとてもよく伝わってくる記事である。
より身近に、そしてより具体的にご理解いただけるかと思うので、是非とも参照・引用元のブログも併せてご覧いただきたいと思う。

参照・引用:
日笑(ひえみ)様のブログ記事
『ルアンポー最期の瞬間 ~自ら死に水を取る~』


(以下、引用)

「ルアンポーは、朝5時に息を引き取られた。

その前、自ら起きて、トイレに行かれ用をたしたあと顔と手をしっかりと洗って寝床に戻られた。
その後、紙とペンをお弟子さんに促して、受け取り、

『 みなさん ルアンポーは 死んでいきます 』

と書き、目を閉じ、その数分後、静かに息を引き取られた。

~(略)~

<以下は、ルアンポーの弟子がテレビのインタビューに対して話したもの。>

ルアンポーは、すでに死に逝く心の準備はかなり前から整っていました。
なので、実際に亡くなる前にルアンポーがされたことは、身体の準備でした。

トイレに行き、大便をして、顔と手を洗う。
しっかりと身体を清めて、身体を休められる。

普通だったら、死の間際を、どのような心で静かに逝くかを考えるだろうと思うのですが、ルアンポーはもう心は整っていたので、その時が来たのを知ったルアンポーが逆に整えたのは、身体だったのです。」

(引用おわり)


※註1
( 日笑(ひえみ)様のブログ記事・『ルアンポー最期の瞬間 ~自ら死に水を取る~』より引用させていただきました。)

※註2
ルアンポー・・・ルアンポーとは、高僧に対する敬称。


遺言により火葬する炉の扉は開かれ、ルアンポーの遺体が焼かれていく様子も見ることができるようにされたという。

いかにも森の寺の瞑想指導者らしい姿であると私は感じた。

おそらくは、自らも修してきたであろう不浄観。
できうる限りの人々にありのままの姿を伝えようとしたに違いない。

関連記事⇒
『死を直視する ~不浄観~』

『死体の写真と煩悩』

死を目前にして、普通の人間であれば一体どうなってしまうのだろうかと、恐怖に怯えるか、死にたくないと悶え苦しむか・・・であろう。

これほどまでにあっさりと、自然に死を迎える。

「それでは、行ってくるわな!」

と、ちょっとそこまで出かけてくるかのように、なんの変哲もない日常の一場面のようだ。

こうした最期は、常にサティ、つまり客観的な「気づき」がなされているからこそであろう。
また、何事にも動じない冷静な自己が確立されていた証でもあるのではないだろうか。

誰もが必ず経験すること。
誰もが経験したことのないこと。
しかし、唯一「確実」に訪れること。

それが「死」だ。

死というものも“本来”ならば、生活の一部、人生の一部のはずだ。


日本人の死亡場所の80%以上が病院(ないしは施設)という統計が出されているという。
昭和40年代までは、自宅で最期を迎える人が大部分を占めていたそうであるが、昭和45年~昭和50年頃に病院で最期を迎える人のほうが多くなったということだ。
以降、その割合は増え続け、平成21年には日本人の80%以上の人が病院で最期を迎えているのだそうだ。

つまり、現代では、大半の日本人が病院で最期を迎えることになるということがこの統計から読み取れる。

病院で産まれて、病院で死ぬ。

これが現代日本の生活様式のようだ。

「畳の上で死ぬ」ということは、もはや過去の話となってしまった。
家族や親しい人達とともに最期を迎えるということも、非常に困難であるというのが現状なのかもしれない。

振り返ってみれば、死の瞬間に立ち会うということはまずない。
立ち会った経験のある人もごくごく少数なのではないだろうか。

もはや、生活空間の中に「死」というものはなくなってしまったと言っても過言ではない。
死をリアルにイメージしにくいのも自然なことなのかもしれない。

“死”というものが、“生”というものとどこか引き離されてしまったような感すらある。

みなさま方は、どのようにお感じだろうか。


私の生まれ育った田舎のある古老からは、タイのこの高僧の最期に近い話を聞いたことがある。

だれだれさんの死にざまは実にすばらしかった。
徳がある人の死に方はやっぱり違う。

自分の死期を知り、じっと座して旅立ったという話も聞いたことがある。

そんな話のひとつふたつをおじいさんやおばあさん達から聞いたことはないだろうか。
私の生まれ育った田舎にもそうした穏やかな死というものが実際にあったのだ。

そう、日本にも、ほんの少し前にはこうした死が実際に、しかも身近にあったのである。
ところが、気づけばそのような死は昔話になってしまった。

死は自然なことである。
日常であり、人生の一部である。

私自身のこととして捉えなければならない。
ところが、捉えることができない。
だから苦しむ・・・。


このブログ記事を読んだ瞬間、「嗚呼、これこそ仏教的生き方だ」と思った。

様々な書物からは、過去の日本にもそうした最期が実際にあったらしいことは知っていた。
近所の古老の話から穏やかな死に方もあるものだとぼんやりと理解していた。

そして、今。
そうした人生を実際に生きた方がいたことを知った。

覚悟できているつもりであったとしても、全くできていない。

死ぬその瞬間・・・自己の“本性”が忽然と現れてくるのだと私は思っている。
今までの生き方が露わになる瞬間が「死」なのではないかと。


今の日本では、生活様式の変化もあってか、穏やかに死ぬこともなかなか難しいのかもしれない。
生活の中から仏教的な価値観が忘却されてしまっていることも追い打ちをかけているのかもしれない。

しかし、そうした現代の生活様式が悪いというわけではない。

死に場所が病院であろうと、家であろうと、どこであろうと、大切なのは自己の心や体の動きを知り、気づき、常に冷静で穏やかな自己であることができるように努めることである。

そうすれば、より善き最期を、そしてより善き人生とすることができるのではないだろうか。

ルアンポーの死を知らせてくれたこの記事は、私に様々なことを語りかけてくれたように思う。


私もこうした死にざま、そして生きざまでありたい・・・そう感じた。



※参照・引用:

日笑(ひえみ)様のブログ記事
『ルアンポー最期の瞬間 ~自ら死に水を取る~』



(『タイのある高僧の死に思う』)

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