タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2014/06/25

五戒と八戒と十戒

あるタイの仏教をよく知る日本人がこんなことを言っていた。


『日本の若者に“五戒”について説明しようとしたら、
「ごかいですか?ここは5階ではなくて1階ですよ。」と真顔で答えたのには面食らった。

“五戒”が通じず“5階”だと“誤解”されるとは全くもってあり得ない話だ!」』


と。

彼は、ひどくあきれ果てていた。

もっとも“五戒”と“5階”と“誤解”をかけた駄洒落とも思える話には私も思わず失笑してしまった。


冗談はさておき、この話が示すように、日本において「五戒」は馴染みが薄く、あまり知られていないというのが実情のようだ。

この駄洒落とも言える話もあながち駄洒落だとも言えない話である。


タイにおいて五戒はあらゆる仏教の儀式において誦唱されるため、一般に広く知られている。

同時に、仏教にとっては最も基本的な戒律でもある。


タイの仏教徒は、ワンプラ(布薩日)と呼ばれる日には五戒を守るよう努める。

さらにより熱心な人は、五戒にもう3つの戒を加えた八戒を守る。


サーマネーン(沙彌/見習僧)になると、さらにこの八戒にもう2つの戒を加えた十戒を守る生活となる。


このように、タイでは習慣として、または生活の指針としての五戒や八戒がある。

あるいは出家生活の土台とも言うべき十戒は、タイ人の誰もが知るところとなっている。


特に五戒は、日常生活のうえにおいても、とても大切な徳目で、努力目標とも言えるものである。

戒と言うと、なにやら厳しい印象や、束縛をうける存在のように感じるが、決してそうではない。


タイではあらゆる仏教の儀式において五戒を受け、機会あるごとに重ねがさね自己を見つめるのである。

逆にいえば、仏教の儀式の要は、仏教の実践と自己の研鑽(=自己の戒め、自己を反省しながら自己を磨いていく。)にあるため、布施を行うと同時に比丘より五戒を受けるのである。

では、五戒・八戒・十戒とは、具体的にどのような内容のものなのであろうか。



1、殺生より離れる(生きものを殺さない)戒を保持する

2、盗みより離れる戒を保持する

3、淫らな行いより離れる戒を保持する

4、妄語(嘘・いつわり)より離れる戒を保持する

5、放逸の原因である酒類(麻薬なども含む)より離れる戒を保持する




ここまでが在家の仏教徒が守るべき五戒である。


3の「淫らな行い」とは、在家者に対しては配偶者以外との性交渉を指し、「不邪淫」となる。一般の在家仏教徒はこちらである。


一方で、出家者に対しては全ての性的交渉を指し、「不淫」となる。

全ての性的交渉とは、異性との性交渉をはじめ、同性との性交渉、自慰行為、動物との性的交渉をも含む。

日本では、不邪淫と不淫とが混同されることもあるようだが、「不邪淫」と「不淫」とは明確に異なる。


5の酒類とは、人を酔わせるものをいい、麻薬等も含まれる。

「酔う」ということは、「正しい判断ができない状態になる」ということにほかならない。

それゆえ判断を惑わせるものからは離れなければならないとうことである。


この五戒は、タイの日常生活の中の儀式でよく耳にする。

もし、タイに行かれる機会があれば、是非とも記憶に留めておかれるとよいと思う。



6、非時食(午後の食事)より離れる戒を保持する

7、舞踊、歌謡、音楽、観劇より離れる戒を保持し、芳香、塗香、服飾品、衣装より離れる戒を保持する(※)

8、快適な寝台(高床の寝台、広い寝台/≒快適なベッド)で寝ることより離れる戒を保持する



五戒に6、7、8を加えて八戒となる。


7は、わかりやすく表現すると目を楽しませるようなものから離れよということである。

目を楽しませ、心躍らせるものとの接触は、冷静な判断を狂わせることへとつながる。

8は、香水をつけたり、華美な服装などで着飾ったりすることから離れよということである。

華美に着飾ることは、さまざまな執着を増幅させることでもある。


私は、シンプルライフこそ仏教の要点であると思っている。


在家の者であっても、より熱心な人であったり、寺で「修行」として生活を送る場合、または一定期間瞑想修行をする場合には、八戒を受戒することがある。



10、金銀(お金)の受領より離れる戒を保持する。



※八戒の場合は、6・7・8を加える。 
※十戒の場合は、7を2つに分けて、『金銀(お金)の受領より離れる』を加えて十戒とする。


さらに、上記の9、10を加えたものが十戒である。

サーマネーン達は、この十戒を守り生活を送る。

また、寺に一定期間滞在し、集中的に瞑想修行を実践しようとする在家者も十戒を授かり、生活を送ることもある。


もっとも基本的な在家仏教徒が守るべき戒律が五戒だ。

簡単なようで、これを堅持して生活を送ることは非常に難しいと言える。

不可能だと言っても過言ではない。


しかし、日常生活のトラブルの多くは、五戒に反していることに原因を求めることができるのではないだろうか。

タイ人であっても、すべての人達がこれらを守ろうとして生活をしているわけではない。
しかし、大部分のタイ人は、少なくとも知識としては知っている。


これらを堅持して生活していくことは不可能かもしれないが、日常生活の中において、たとえ少しでも意識することができれば、人生はより善きものになるのではないかと思う。

少なくとも、日常生活で出会ういくつかのトラブルは回避でき、より穏やかな人生を送ることができるのではないだろうか。


心よ、安穏なれ。



(『五戒と八戒と十戒』)

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