タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2014/03/07

タイ人の出家の動機

タイの町を歩くと何度も比丘と出会う。
頭を丸め、黄衣をまとう比丘の姿。

一目で仏教僧であるとわかる。

タイの人達は何を思い、何を求めて出家をするのであろうか。
タイ人の出家の動機はどういったものなのであろうか。

日本人が想像するものと同じなのだろうか。

タイ人の主な出家の動機を追ってみる。

関連記事:
⇒こういった出家の動機も・・・
『出家の目的は?』


○悟りを得るために仏道を実践するため。

これは、最も正統な動機ではあるが、実際にはめったにいない。
また、生涯比丘を続ける者もほんの一握りしかいない。

○一定の期間、仏道を実践するため。

タイでは、比丘だった人は、人間ができており、家族生活を送る準備ができていると認識され、信じられている。

それゆえ、出家を経験していない独身男性は、半人前だとされる。
結婚前に出家を果たすケースが多いのは、こうした理由からで、比較的若いうちに出家を果たす者が多い。

出家を経験して初めて一人前の成年男子と認められる。
成年男子として認められるための出家。
人生の通過儀礼としての出家である。

これが、タイにおける最も一般的な出家の動機であり、一時出家の習慣である。

○出家によって得られる功徳を両親に送るため、特に比丘となることができない母親に対して功徳を送るため。

タイ人は、よく両親に対する「恩」ということを口にする。
さらに父親よりも、母親のほうがその「恩」が大きいのだという。

出家によって得られる功徳は、“送る”ことができると考えられている。

ゆえに、両親に徳を送り、親孝行のために出家をする。
特に母親への孝行のために出家をする。

○徳を積むため。

ただ純粋に自己の徳を積むために出家をする。
自己の研鑽や精神修養のために出家をする。

○過去の行いを軽減するため。

上記に関連して、過去に改めたい行いがある場合、出家によって得られる徳により、それらをできるだけ軽減し、消し去るために出家をする。

出家という広大な徳でもって、過去の罪業を消し去ることができるのだという。
自己の行為を正すことは、悔い改めることにつながる。

○追善供養のため。

さらに、出家によって得られる功徳は、亡くなった者へも“送る”ことができると考えられている。
そのため、身内に不幸があった場合、日本で言うところの「追善」のために出家をすることがある。

亡くなった父のため、母のため、妻のため、子どものため、家族のために出家をする。

○学業を修めるため。

地方の貧しい子どもたちは、寺の教育課程を通して学業を修めることで、高等教育、大学へと進学できる道が開かれている。
そのため、少年の頃より出家をする。

地方の町で見かける多くのサーマネーン達(少年僧)は、町の周辺地域から学びに来ている少年達だ。
さらに、バンコクの寺にはこうして地方から進学してきた者達が多く集まっている。

○「福祉施設としての寺」への出家。

寺が福祉施設の役割を果たしていることがある。
そうした性格を持つ“寺”へ入るために出家をする。

私は、アルコール依存症を治療するために出家したという比丘に出会ったことがある。

寺ではもちろん飲酒はできない。
飲酒ができない環境にあえて身を置くことで、治療につながるのだという。

その後、その彼は、無事に治癒し、還俗して社会に復帰していった。

また、身寄りがないために出家を果たす人もいるという。
まさに「駆け込み寺」と言える。

駆け込み寺という表現は適切ではないのかもしれないが、寺は福祉施設でもある。

出家をする側も「徳」を積むことができ、出家を支援する側も「徳」を積むことができる。
双方の徳となる。


このように、さまざまな出家の動機や理由があるが、「出家=徳・功徳」という価値観が根底に流れていることがわかる。

同時にそういった価値観が根底に流れているからこそ成立している世界とも言える。

毎年、多くの者が出家をして、還俗してゆく。
その結果、日々、多くの仏教徒を世間に輩出していることになる。
上記の通り、最初から悟りを求めて出家をする者は非常に少ない。

しかし、こうした多くの出家者の中から真剣に仏法を求める人物が現れる。
出家生活に触れる中で仏法に目覚める者が現れる。

広い裾野が存在するからこそ、強固に支えられたサンガが存在すると言える。 
裾野が広いからこそ、より傑出した人物が、より多く輩出される。

傑出した人物の偉大さは、その裾野の広さに比例するといっても過言ではないと私は思う。
裾野が広いからこそ、高い高い山となり得るのだ。

裾野が広いことは、より偉大なる人物をより多く輩出できる可能性を高めると言えるのではないか。

私は、この点がタイの仏教の非常に素晴らしい一面であると感じている。


タイの人達は、両親や家族をとても大切にする。
両親や家族に対する思いがとても強い。
特に母親への思いは強い。

現代日本では、どこか忘れ去られてしまった感すらある両親に対する親孝行。
兄弟姉妹、あるいは家族に対する思い。

タイの人々と触れていると、彼らのそのあたたかな感情がひしひしと伝わってくる。

比丘となる我が息子を両親は涙して喜び、誇りに思う。
また、当人も両親に対して孝行できたことを喜び、誇りに思う。

ゆえに出家の際は、両親や兄弟をはじめとして、親類縁者、みんなで送り出すのだ。
還俗の際も、両親や家族からあたたかく迎えられる。

そうした両親や家族への思いや気持ちを「出家」という具体的な行動で表し、孝行する。
自身の徳になり、さらに両親や家族の徳ともなる。

自身の「徳」を考えるということは、自分自身を見るということでもある。
はたして、私は自分自身を見てきたであろうか。

自己の徳とは何なのだろうか?

自分が孝行できることとは何なのだろうか?
両親への孝行とは一体何なのだろうか?

親孝行とは一体何をすることなのだろう。

私にとっての親孝行とは一体何なのだろうか・・・


タイにはこうした“出家”という具体的な“方法”がある。
日本にはそうしたものはあるのだろうか・・・


ふと私は、そのように考えさせられた。
いや、そのように考えずにはいられなかった。


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(『タイ人の出家の動機』)

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