タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2014/02/07

人間ブッダと出会う


日本において「ブッダ」が語られることは少ない。

日本の仏教は、よく宗祖仏教・宗派仏教だとも言われる。
各宗派の宗祖の声は、しっかりと耳をすませば聴くことができるのかもしれない。
同じ日本という地に生きた方々という意味では、とても身近な存在ではある。


では、日本で釈尊の声、人間ブッダの声は聴くことができるだろうか。

日本の仏教の歴史の中では、釈尊の声を聴こうとした高僧方もいた。
そうした高僧方には聴くことができたのかもしれない。


だが、私には聴こえなかった。
聴くことができなかった。


私に能力がないからなのか・・・
私の機根が劣っているからなのか・・・


おそらくそのどちらもあてはまるのだろう。


そんな私でも、ほんの少しだけブッダと出会えたような気がした瞬間があった。

それは、タイでの出家でであった。


タイでの修学で仏教への見方が少し変わった。
人間ブッダに出会えた・・・そんな気がするのだ。


タイの仏教は、ブッダの正統を受け継いでいるとの誇りがある。
ブッダの正統とは、教義や実践の全てを指す。

その中で、最も重要な存在が戒律だ。
戒律は、ブッダから連綿と伝持されているものであると認識されている。
比丘となるにはブッダ以来の戒律を受け、守らねばならない。

戒律は、師僧となる比丘から授けられる。
師である比丘も師僧より戒を受ける。
師僧をたどると、やがてはブッダに行きつく。

そうした流れのなかに自分もいるのだ。
ブッダから受け継いでいるものが今ここにあるのだ。

そうした自覚とプライドがある。


日々の生活もブッダ時代から連綿と受け継がれてきているものであると認識されている。
出家の生活様式のひとつひとつがブッダ時代のものに基いている。

鉢を持ち托鉢に歩く。
その鉢で食事を摂る。

衣服は、ブッダもそのようにしていたであろう一枚の布をまとう。
そして、その布をまとって出家の日々を送る。


上座仏教も2600年の長い歴史の中では、様々な変遷や変容があったことであろう。
ブッダ時代とは異なるものも当然あることであろう。

しかし、器の中の水を別の器へ一滴も漏らさずに移すがごとく、何ひとつ変えることなくそのままを受け継ぐ・・・、いや、受け継がなければならない。


それが上座仏教である。


日々の生活の中にもそうした姿勢を垣間見ることができる。
戒律を守る生活の中で何か疑問に思う点があった時、


「ブッダはどのように言っているのだろうか?」


と問いかけると、戒律に通じた比丘を呼んできて、


「ここにこう書いてある。だから、これが正しい。」


といった会話を耳にする。


タイでは、全てにおいてブッダがどのように言ったのかということろに立ち返る。


嗚呼、ブッダ・・・

偉大なる師、ブッダ・・・


ある時、自分の前にある仏像が、実際にまみえた自分の師であるかのように思えた。
それは「ほとけ」でもなく、「神」でもない。もちろん単なる「仏像」でもない。


直接教えを受けたような、人間同士が面と向かい合ったかのような感覚。


偉大なる師。

大いなる師。

誰よりも卓越した人生の師。


ブッダは、どこか懐かしく、優しく諭してくれる先生だった。

ブッダもまたこの私と同じこの世に生を受け、同じく悩み苦しみ生き抜いた一人の人間だった。

そう、人間ブッダだった。


私が偉大なブッダを「師」とか「先生」などと呼ぶことは、まったくもって畏れ多いことではあるが、こんなにもブッダという存在が身近に思えたことはなかった。


悟りを開いたブッダとは、日本では釈迦如来、釈迦牟尼仏、釈迦のことだ。

今まで、釈迦とはどこか超人的な存在だと思っていた。


仏という、私とは大きく異なる存在。
すこぶる優れた能力をもった人。
私には届き得ぬ能力とその境地。


どこかそのような感覚で歴史上の釈迦という人をとらえていた。


むろん・・・その通りではあるのだが。


ブッダとて、私と同じ人間だとするのは、やはりあまりに畏れ多い。
しかし、ブッダその人がどこか身近に思えた。


そうした人間が居たのだ。
そうした生き方をした人間がいたのだ。


人間ブッダ。


ブッダと出会えた。
そう感じることができただけでも、ほんの少しだけ仏教を体得できたのではないか・・・


タイでの出家を経て私はそう感じている。



(『人間ブッダと出会う』)



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