タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2014/01/03

世間は世間、出家は出家

お正月の初詣。
日本の風物詩の一つだ。

日本の寺では、その時期になると準備や対応に、大忙しであろう。


タイの寺は違う。
寺の中では、いつもとなにひとつ変わらぬ生活を淡々と送る。

タイにももちろんお正月がある。

メインとなるのは、西暦の1月1日。

面白いことに、タイではさらに2回のお正月があり、合わせて3回ものお正月がある。

まずは、西暦の1月1日のお正月。

そして、旧正月(中国正月/旧暦の1月1日)とタイ正月(4月のソンクラーン)である。


旧正月は、おもに華僑系の人々にとってのお正月だ。
華僑が多いタイでは、旧正月も街は賑やかになる。

そして、もう一つのお正月が、タイ本来のお正月にあたる4月のソンクラーンだ。
水かけ祭りで有名なソンクラーンは、実はタイ本来のお正月にあたる。

タイの各地では、ソンクラーンのお祭りが行われ、大変盛り上がる。


また、タイにはいくつかの仏教に関する伝統行事もある。

マーカブーチャー(万仏節)・・・ブッダの弟子が1250人集まったことを祝う日。
ウィサーカブーチャー(仏誕節)・・・ブッダの生誕・成道・涅槃を祝う日。
アーサーンハブーチャー(三宝節)・・・ブッダが悟りを開き、5人の弟子に説法したことを祝う日。

この3つは最も重要な仏教に関する祝日だ。

カオパンサー・・・安居入り。
オークパンサー・・・安居明け。

その他、安居期間の始まりの日と終わりの日も、非常に重要な日となっている。


もちろん、これらの日には、多くの人々が集まり、さまざまなイベントが行われる。
しかし、それはあくまでも世間でのこと。

比丘にとっては、あまり関係がない。
寺の中では、いつもと変わらぬ時間がゆっくりと流れる。

行事があるからと言って、生活が変わるわけではないのだ。

日常と異なることと言えば、これらの祝日の日にはいつもより多くの人が寺にやって来ることと、朝の托鉢の時には、いつもより多くの人々がたくさんの布施を行うという点だ。

一日の始まりは比丘へのお布施で始まる。
新年の始まりもやはり比丘へのお布施で始まる。
祝日や行事の日ももちろん比丘へのお布施で始まる。

年頭にあたって一年の幸せを願う。
仏教の祝日に、日々の健康を願う。

人々は、そんな願いを込めて、節目ごとに比丘達へ布施をする。

よって、特別な日には、いつもよりたくさんの人々からたくさんの布施を受けることになるのである。


幸せを願うのは古今東西、ところ変わっても同じである。
節目の日や仏教の祝日の日は、人々にとっては願いや祈りの場でもある。
また、楽しみの場でもある。

こうした賑やかな村や町とは対照に、寺の中では特別にこれといったことがあるわけではない。

仏教に関する祝日の日は、少し長く勤行があったり、あるいは蝋燭を持ってチェディ(仏塔)の周りをまわるウィエンティエン(日本で言うところの「行道」といったところか。)を行う程度で、特別な儀式や行事はなにもない。

寺の中での日々は、実に簡素で、祭りや祝日の日であっても、比丘達は準備をするわけでもないし、特別な法要を営んだり、特別な服装をするわけでもない。

比丘達は、いつものように生活をしている。
いつも行うことを、いつもの通りにしていればよい。

これは、森の寺や修行寺になるほどはっきりとしている。


こうしたところにも、「法の実践」ということを大切にしている姿勢を感じる。

年間を通じて何も行事がない生活というのは、非常に平坦で、どこか物足りなさを感じるのかもしれない。

しかし、よく考えたい。

比丘とは、どのようなことを目指す存在なのだろうか。

比丘とは、法の実践者、つまり自己を見つめ、修行に励む者にほかならない。

私は、こうしたところもタイの仏教のいいところだと感じた。


儀式や行事が中心とも思えてならない日本。
どこか本末転倒と感じなくもないがいかがお感じであろうか。



(『世間は世間、出家は出家』)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

メールで先ほど質問させて頂きました。よろしくお願い申し上げます。

Ito Masakazu さんのコメント...

コメントをいただきましてありがとうございます。返信させていただきました。

今後ともよろしくお願いいたします。